MASERATI MISTRAL SPIDER

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一番清涼で輝かしい朝と、皆が寝静まった街の静寂さを僕は独り占めにしていた。
といえば、聞こえはいいが、明け方にうちを出ては終電で帰る、そんな暮らしをどのくらい続けただろうか。当時はそんな気になることもなかったけれど、それは今からすると、むしろ神様がくれたご褒美だったんじゃないか。そんな気さえするのだ。
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そしてそんな行き帰り、実は僕のささやかな楽しみがあったのは、僕が出かける時に戻り、僕が帰ってくる頃になると出て行く、とても古い、ものすごく美しい一台の車のこと。うちから家を出て、坂を下り、駅から伸びる一本道に出ると、左手に白い大きな洋館があり、その門扉の脇のガレージで通りの方を向いて停まっていた。
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そしてその車のステアリングを握るのが女性だったこと。だから、すれ違うと、つい足が止まり、目で追いかけてしまう。
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それは見惚れる、というのとは少し違っていたものの、憧れと何か佳作の映画でも見ているかのような、心地よい絵を見るときの心持ちに近かったような気がしている。
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ある日、ちょうど私が家を出て、駅へ向かうその頃に日の出を迎える時期、いつもは決して幌は下ろしていないその車が、「幌を下ろして」戻ってきた。辺りがうっすら明るくなる中、その洋館の前に車が止まる。ドライバーの女性(ヒト)の長い髪は黄金色にキラキラと輝いていた。そして門扉が開き、バックで威勢良く一気にガレージに収まるその車。
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するとどうだろうか。一瞬その車が今しがた止まっていたところに一気に朝日が降り注いだのだ。ほんの数分の出来事を、私は道の反対側に佇み、じっと見ていた。
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あらゆる風景の中でこんなに美しいものがあるだろうか。自分の住む街に、こんな素敵なことがあるなんて。ああいうことを「感激する」というのだろう。
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ずっと続くのではないか、だとしたらこんな幸せなことはない。
そんな風に感じる時こそ、永訣の前触れだったりするものだ。実はその日を最後にその車も、そのヒトも、見かけていない。
photogrpher:Masaru Mochida
model:Etsuko
writter:Kentaro Nakagomi